さくらもちブログ

HSP気質の母です。HSCの娘の子育て中です。HSPの親がHSCを育てる難しさ、楽しさと癒やしの時間

《死にたい》何度も思ったけど、30過ぎて思うのは《生き抜きたい》

こんにちは、さくらもちです(*^^*)

 

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近況と状況 

親知らずの歯肉が腫れました

ばい菌が入ってしまったようで、

1週間悶絶していました。

 

それに加え、娘も熱が出て幼稚園お休みに。

熱はあるのに元気で、かまってちゃんになり

私は痛み止めを飲んでも効かず・・・

 

1週間やっと乗り切りました。

 

 

ミスドでひとりお茶会をして

ぼーっとしていたら魂戻ってきました。

 

誰かに用意してもらうコーヒーを飲む

元気になれます!!

最近のミスドは甘くないパンも充実

ノンカフェインコーヒーもあるので

気軽に行ける私の癒やしスポット

(田舎なので平日お客さん少ない←これ大事!!)

 

 

 

 

SNSで《死にたい》って書き込む事

よくニュースで取り上げられるのを目にします。

 

最近はSNSから事件に巻き込まれてしまう、

そんなことが起こってしまう時代

 

 

《死にたい》って思うことって、

変なことじゃないと思います。

 

そう思うのが日常でも、

変でも何でもないと思う。

 

(私は感受性が強く、

保育園時代から死にたいと思うような子だったので・・・)

 

 

 

 

 

 

今年30歳になったわたし。

 

 

私は幼少期から

とにかく生きたくなくて

早く終わって欲しいと思っていました。

 

終わりにするためには、

死ぬしかない。

だから死にたい、と思っていた。

 

 

でも、のらりくらりとその後歩み、

中学で恋愛という壁にぶち当たる。

 

友人だと思っていた子に

自分の好きな人を言ったら

「告白しなよ」って押されて告白。

そして振られたのはいいんだけど

その後、友人と好きな人が付き合うことに・・・

 

よくある話。

でも何が辛いって、

男の子は隣のクラスなのに、

わざわざ私のいる教室にきて

カップルで話すという・・・

 

私はいつもトイレや図書室に逃げていました。

(今でも彼女や彼がどんな神経していたのか謎)

 

 

 

 

高校の頃は、苦手な女の子がいて

教室に入れなくなりました。

毎日愚痴を言っている子。

 

 

自分の事を言っている訳ではないのだけど

《自分のことを言われている》様に苦しくなって

朝は保健室登校をしていました。

クラス替えがあってからは、

教室に入れるようになった。

その時はアトピーも便秘もひどくて

体調がすこぶる悪かったです。 

 

 

部活の女の先輩に

何故か「かわいいねえ!!」と

可愛がられたのですが

私は自分が《かわいい》と思っていなかったので

本当に「なんでそんなひどいこと言うの?」と

思っていました。

 

自己肯定感が低いと、褒め言葉さえも

胸に刺さるんですよね。

 

 

 

 

10代って 

とても敏感なお年頃。

だから《死にたい》って思うことは悪いことじゃないし

それだけ辛い気持ちなんだという事。

そんな自分を受け止められたらいいのだろうけれど

 

 

つらい気持ちって

どんどんどんどん溢れてくれるから

自分ひとりじゃ抱えきれない。

 

 

 

 

 

私が中学〜高校にかけて

あるラジオ番組があって

その掲示板が

世の中の不満や自分の悩みが打ち明けられる場所だった。

《City Night Law》っていうラジオ番組だったな。

 

 

 

高校生も大人も

一緒になって悩んでくれる場所だった。

 

私の場合、

ふたまわり上の女性とメールアドレスを交換して

時々メールしていた。

 

その時に言われたのは

 

「さくらちゃんは何にでも一生懸命な子なんだよ。

誰かが何気なく言った言葉も、

無意識で一生懸命、吸収しちゃうから

辛く感じるんだと思う。

 

これから先、辛いこともあると思うけれど

楽しいこともたくさんあるよ。

そしてもう10代を通り越して自分からすれば

あの時が眩しい時間だった、と愛おしくなる時がくるよ」

 

 

 

私は、あとは時間に任せることにして

今の想いを《詩を書く》ことにした。

そうしてくるうちに

 

「書いていることがいいね」って

言ってもらえる事もあったし

 

「何書いているか、よくわからない」と

言われることもあった。

 

それでももっと書きたい、と思った。

そうしている間に私は30歳になった。

 

 

 

 

《死にたい》っていうのは

もしかしたら何かを表現することで

生きる力に変わり得るのではないかと思う

 

 

私の場合は詩を書くことだった

 

表現にはたくさん種類があって

絵を描く、写真を撮る、デザインを考える、文章を書く

 

絵を描くの中でも

油絵なのか、水彩なのか、

風景なのか、人物なのか、漫画なのか、

キャラクターデザインなのか、色々・・・

 

 

 

そう、

死にたいと思ったらその分

思ってもいないような最高な人生が待っている

 

 

中学の時に辛い恋愛を経験したけれど

今は頼れる夫がいる。

10代の時に、こんな人に巡り会えているなんて

思ってもいなかった。

 

 

 

今でも生きづらいと思うことも多々ある

子育ては、私にとっては刺激が多い

でも今は生き抜きたい想いに駆られる

 

 

 

1週間

左の親知らずの歯肉が傷んで

ご飯を食べるものも苦痛だった。

そんな痛み止めが効かない状態の中、

もう死にたい、と言うかと思いきや

 

「この痛みがなくなったら、

絶対、美味しく食べたい!!

よく噛んで味わうんだから!!」

と《食》に対する欲求に駆られた。

 

 

たとえ歯肉が痛くても、

その痛みが顎から頭にかけてガンガン痛くても

辛いけど、死にはしないんだ

 

 

 

 

大人はわかってくれないと思うかもしれないけど

理解してくれる大人は絶対いる

 

そして友達なんか出来ないと思っても

理解してくれる友達は絶対出来る

 

そんなの、《さくらもち》の経験論かもしれないけれど

自分の10代の頃に向けて書いているから

だから、絶対!!

 

 

 

いつか《死》は嫌でもやってくるのだから

今は《生きる》

 

 

そう思って、今日も生きている。

 

 

 

 

ご訪問頂き、ありがとうございました☆

 

 

 

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